朝ドラ観てますか?!と偉そうに言うワタクシは、以前やっていた『マッサン』に夢中になっていたとき以来ほぼ観ていません。すみません。けど、そんな朝ドラ全然チェックしていない勢のワタクシが、実は1年くらい前のウワサレベルでしかなかったときからずっと心待ちにしているシリーズが、いよいよ来月4月3日からスタートします。それが『らんまん』。
理由はもちろん、多肉植物をやっていたら絶対にその名を耳にする植物学者の牧野富太郎さんがモデルのお話だから。朝ドラで植物学者! 朝から植物!
今回は、そんな『らんまん』のスタートを記念して、ドラマが楽しくなるような牧野富太郎さんの魅力を個人的に綴ってみたいと思います。といいつつ、それだと他にもたくさんある「らんまんの魅力を紹介」的なPR記事に圧倒的に太刀打ち出来ないため、ここは多肉植物図鑑らしく、多肉植物と牧野富太郎さんという誰も書かない視点も絡めていきます(恒例の誰得記事)。
まずは個人的に、いろんな文献で牧野富太郎さんの物語を読んで、すごい!かっこいい!すてき!と思ったポイントをまとめてみます。要約しようとがんばったけど魅力多すぎて文量多めです。
牧野富太郎さんが生まれたのは江戸時代の末期。5歳のときに明治になり、昭和33年に94歳で生涯を終えたというご長命。若干15歳で小学校の先生に抜擢される早熟でありながら、死の間際まで研究を続けられていたというんだから、そのキャリアの長さは現代人には太刀打ちできそうにありません。86歳のときには皇居に呼び出されて昭和天皇に御進講する機会もあったとか。
生家は有名な造り酒屋で、経済的には何も不自由がないいわゆる「ぼんぼん」。教育にお金を惜しまなかった育ての親である祖母の方針や、青年期に会計係を任されていたおつきの人も結局使用人だから逆らえないのもあって、欲しいものはすべて買い与えられていました。ただ面白いのは、そのお金は本当にすべて「植物研究」のためだけに注ぎ込まれていたこと。図鑑を自費出版したり、外国に出張して植物採集したり、資料保管のために大きな屋敷を借りたり、庭園をつくったり……。
研究のためなら実家の財産も使い果たすだけでなく巨額の借金を抱えるくらいばんばんお金を使うのに、着るものはボロボロの古着しかなくて穴の空いた服を着て教壇に立っていたこともあったとか。
好きなことややりたいことに一途で向こう見ずなところは、本当に痛快です。
牧野さんは家庭が裕福だったので町人の身分ながら武士が通う塾や学校に通わせてもらっていましたが、当時から植物採集に夢中になるあまり学業が疎かになって自然退学。そのまま大学に入学することもなかったため最終学歴は「小学校中退」です。
にも関わらず、19歳で上京した際に東京大学の植物学教授に直接アタックして研究室の出入りを認めさせたり(教員でも研究員でもなければ学生ですらないのに)、25歳のときに自費出版で独力で編集した植物図鑑を世界中の研究者が高く評価したり、そのとんでもない実力はすでに教育の枠を遥かに飛び抜けていたようです。すごすぎる。
そんなとんでもない牧野さんなのでもちろん何度となくピンチが訪れます。若い頃から物怖じしない性格なので教授陣に反感を買って大学を追い出されたり、金遣いが荒すぎて今でいうと5億円くらいの借金を負ったり(しかもそれが54歳のころっていうバイタリティ)。けど、そんなピンチに必ず手を差し伸べる仲間が登場。一途で熱心な牧野さんには、放っておけないただならぬ魅力があったという証なんでしょうね。
生涯の伴侶となった奥様の壽衛(壽衛子)さん。当時もその後も植物のことしか知らなかった25歳の牧野青年が、ふらりと寄った菓子屋さんに努めていた17歳の美人店員さんに一目惚れして通い詰め、お世話になってる大将に仲人を頼んで口説いたという逸話がなんともステキです。もともと武家の娘さんとのことで、時代がちょっとずれていたらロミオとジュリエットだったのかもしれません。
壽衛子さんは牧野さんが66歳のときに亡くなるまで献身的にその研究生活を支え、牧野さんはその感謝と愛を込めて、そのとき発見した新種の笹に「スエコザサ Sasaella ramosa var. suwekoana」と名付け、墓碑には牧野さんの俳句「世の中のあらん限りやスエコ笹」が刻まれています。
「マキノイの名前は牧野富太郎に由来する」というのは有名な話ですが、命名したのは牧野さんではなく、ロシアの植物学者カール マキシモヴィッチ博士。それ以前から牧野さんはマキシモヴィッチ博士に標本を送っていて、その中のマキノイが新種として認められらたときに献名を受けたということのようです。その年はちょうど牧野さんが結婚した1888年のことで、まるでご祝儀のようだと勝手ながらに思ったりしました。
ちなみにこのマキノイの仲間?として牧野さん自身が オボバツム S. obovatum と名付けた標本(1914年)は後にマキノイに統合されているので、マキノイの文献リストに牧野さんの名前も見つけることができます。
ちなみに「マキノイ」という名前は他にもいろいろあって、たとえばユーフォルビアのコバノニシキソウ Euphorbia makinoi 、ハイビスカスのサキシマフヨウ Hibiscus makinoi など。どれも牧野さんリスペクトな命名なんでしょうね。
牧野さんは日本の植物の分類に尽力した方なので、それがたまたま日本原産の多肉植物だったというご縁で、多肉植物のいくつかにも名前を与えてくださっています。そのほとんどがセダム。学名も「箱根ンセ」や「土佐エンセ」、「田代善太郎アイ」など日本由来らしい名前が並んでいます。ハコネンセは「チョコレートボール」という名前で今も園芸店でよく見かけるコですね。
セダムよりも「日本の多肉植物」として有名なのがオロスタキス(というよりも山野草のイワレンゲ)。ただ「オロスタキス」という属自体がわりと新しい分類っぽく、牧野さんはこれらをコチレドンやセダムに分類していたようです。
和名の「オトコラン」は牧野さんの命名。詳しい経緯がその文献に残っていました。
牧野富太郎のふるさと高知県の植物園。開館したのは牧野さんの死後ですが、作られることになったのは生前のこと。個人的に「日本の植物園ランキング No.1」と思っているすごいところなのでぜひ訪れてみてください。同じ高知の佐川町には、牧野さんの生家をそのまま改装した「牧野富太郎ふるさと館」もあります。
東京大学附属植物園。牧野富太郎が19歳ではじめて上京したときに訪れ、以来出入りしていた、当時から日本最先端の植物研究施設。実際に足を運んで詳しいレポートにまとめさせていただいています。
牧野富太郎の自宅庭園を受け継ぎ整備した記念館。『らんまん』の公開に合わせて練馬区では牧野富太郎キャンペーンを展開中。近くにオザキフラワーパークがあって、そちらと合わせたレポートも書かせていただいています(記念庭園はお休みだったのでこの写真以上の情報はありません……)
牧野さんは「日本の植物の研究に貢献した」方なので多肉植物との関わりはそのほんの一部でしかありません。きっと本編にはほぼ多肉植物は出てこないと思いますが、それでも毎朝「植物LOVE」オーラを浴びれるというのは魅力でしかありません。
リアルタイムで朝ドラを追いかけるのは久しぶりとなりますが、毎朝期待して視聴したいと思います。
関係ないけど去年の4月に書いたコラムに「朝ドラが楽しみ」って書いていました。どんだけ前から(笑)